夢の途中

夢の途中

 また恋に落ちてしまった。相手は15も年下、理学療法士(の中でも、PTと略される運動療法士)を目指してリハビリ学院で学んでいるという、19歳の学生だ。知り合ったのは、「旅行の会」の総会に出席すべく善通寺へ行こうとしていた、高松の福祉会館ロビーだった。
 彼女は、旅行の会のKTさんと一緒だった。目のパッチリした童顔からこぼれる、眩しいばかりの笑顔を見て、思わず可愛いと言ってしまった。それをきっかけに、総会での食事の介助を頼み、議事そっちのけで電子手帳を使って話した。このときにもうデートに誘ったのだから、「あいつは障害者のガンだ」との評価も認めざるをえない。
 
 障害者が団体で行動することを、あまりいいことだと思っていない僕が、なぜ「車椅子・旅行の会」に入ったかと言えば、KTさんの「可愛いボランティアを紹介するから」という言葉に釣られたからだ。KTさんにはKTさんで、僕みたいなやりたい放題やっている障害者が入れば、消極的な会員の気持ちを変えられるかなという、思惑があったようだ。
 しかし、これでは餌の喰い逃げだ。友達に読んでもらおうと、そのとき持参していた自作の原稿も、読書が好きだと言う彼女に預けて帰った。その日以来、何度か電話で話し、手紙をやり取りして、日曜日1日付き合ってくれるという約束を取り付けたわけである。あんまりもてそうもない障害者のオジさんに、甘酸っぱい夢を見せて上げようというボランティア精神を発揮してのことだろうか。

 約束の日、朝8時前に高松駅に着き、同じ引田から乗り合わせた人が、車椅子を改札口の外まで押して行ってくれた。善通寺からの彼女はまだ着いていない。駅には三々五々団体客が集まり、目の前を行き過ぎる。やがて、白のTシャツにブルー・ジーンズをはき、真っ赤なリュックを背負いながら、彼女が改札口から飛び出した。
 「お待たせ」
 「いや。朝ご飯食べた?」
 「電車の中で、パンを食べてきました。三谷さんは?」
 「食べてきたよ。きょうはどこへ行こうか」
言語障害があるのでこんなにスムーズではないが、こういう会話をしていたところに偶然友達が通りかかった。なぜか内心マズいと思った。だが、「きょうは何かあるん?」と聞く友達に「三谷さんとデートなんです」と彼女が答えてくれたもんだから、僕はすっかり安心してしまった。

 その友達が行ってしまったあと、ひとまず喫茶店に入ることにした。お誂え向きに高松駅の中には、入り口にスロープを設けた喫茶店がある。名前は「88」さしずめお遍路さんの休憩所ということだろうか。車椅子の脇に置いてあるバッグから、例の電子手帳を取り出してもらう。これは、見知らぬ人に意志を伝えたり、複雑な会話をするときの必須アイテムだ。
 そのメモ覧に予めインプットしてあったいくつかのデートコースの中から、彼女に行きたい場所を選ばせる。その最後に「二人っきりになれる場所を捜し、そこで、、、」なんて書いてあるのを見つけた彼女、「この前、竹内さん達にきょうのこと話したら、私のことをマジで心配してくれてましたけど、このことだったんですね。」と僕にジュースを飲ませながら、コロコロと笑った。

 三十代も半ばまでくると羞恥心がなくなってしまうのだ。もっとも、僕は産まれるとき、良心とか羞恥心とかいったものを、母体に置き忘れてきたという説もあるにはあるのだが。言うまでもなく、この案は却下。もしOKしてくれていたら、この原稿は書いていない。代わりに選んだのが、かねてよりの彼女の希望だった「レナードの朝」という映画の観賞。早速、パソコン通信で調べてあった映画館の電話番号にかけてもらい、始まる時刻と階段の有無を訊いてもらった。それによると、11時半に上映開始、階段はないとのことだった。
 まだ9時にもなっていない。それで、まず「現代工芸美術展」に行くことにした。喫茶店の払いをするとき「二人分出すよ」と言ったのに、彼女は割り勘にした。僕の財布から金を出してくれるのは彼女だから、僕の主張は通らない。外に出てみると、雲は多いものの初夏の太陽が眩しく照りつけていた。きのうの天気予報では(70%)の降水確率だったので、二人とも「自分の行いが良かったからだ」と言ってゆずらない。こういうくだらないことで言い合いをするのも、いかにも恋人っぽくていいなと、内心嬉しかった。

 人通りの少ない日曜の朝のビジネス街を、こんな二人が歩いていく。リハビリの学校に入っている割りに、彼女の車椅子の押し方はぎこちなかった。道路の傾斜にはどんどんハンドルを取られるし、小さな段差は乗り越えてから気が付く有り様。僕に何度も謝りつつ、「会長さんの車椅子を押してると、いつも厳しいチェックが入るの」とニコニコしているところをみると、とりたてて悩んでいるふうでもない。両親も友人達も僕を荒っぽく扱うので、こういうことには慣れっこだし、まして相手が女の子だから文句はないのだが、ついついからかいたくなる。
 「ヘルメットを被ってきたらよかったかな?」
 「ご不満なら、今すぐ帰りましょうか?」
 「滅相もない。お嬢様、僕を捨てないで」
長い物には卷かれろではなくて、可愛い娘にゃ負かされろだ。だが、このお嬢も、一人では映画を見に行けない。自分でも認める方向音痴なのである。病院からの帰りに8キロも反対方向に歩いたというから、かなり重症だ。これで僕の立場は急上昇。その僕にしても、地図がなければどこにも行けないのだが、それを深くは追求しなかった。

 地図を見ながら僕が指さす方へ彼女は素直に従った。やがて、県文化会館に到着。まだ開いたばかりだった。受付の人たちが何やら相談して、彼女も介助者として無料にしてくれた。ということは、3日間の期間中、車椅子の障害者は僕が初めてなのだろうか。
 会館の中には段差が3段あった。下ろしてもらわねばならないかなとちょっと憂鬱に思ったとき、彼らは僕らを制して、どこかから大きな木の板を2枚出してきた。それを階段に渡そうとしているとき、彼女が走り寄って行ってそれを手伝った。僕は、改めて彼女のやさしさを見たようで、ますます惹かれていくのを感じていた。
つづく

その2
 ところで、はっきり言って僕には美術品を観賞する趣味も素養もない。だから、何が展示してあったかを説明することもできない。彼女にしても同じで、それぞれの作品の題を見て、「どこが」の言葉を何度も二重唱した。それなのになぜここを訪れたかというと、僕には漆芸をやっている友人がいて、全国的に見てもかなりの腕前らしいので、もしかしたら彼の作品が展示されているのではないかと思ったからだ。
 だが、展示してある作品を見てはっきりしたのは、友人がやっているのは「伝統工芸」と呼ばれるもので、ここにある「現代工芸」とは全く趣を異にしているということ。ここにある漆絵や貼り絵や焼き物などは、それぞれが個性と思想を主張しあっているように見える。

 一方わが友人の作品は、あくまで素材の美しさを引き出す手法だ。ずぶの素人にもこの違いははっきり分かった。ただで見せてもらった上に、手間まで取らせてしまったのだから、何か収穫がなければ悪いではないか。さて、余裕をみて早めに会館をあとにした。
 映画館に行く前に、このデートの最大の難関と思われる用足しをせねばならない。実は昨夜、彼女が電話で「トイレのことですけど、一人でできますか?」と、遠慮がちに訊いてきた。僕は「少し手伝ってくれたら、出来るヨ。」とこたえておいたが、どこまで手伝うのか不安でいるに違いない。大丈夫、友達の恋人や奥さんを借りて何度か予行演習したから、とは言わなかった。

 車椅子用トイレは、近くの県庁前のビルの壁をくり貫いて、いかにも急ごしらえという風情でつくられている。しかし行ってみると、施錠されていて開かなかった。そこは密室になるので、悪事をはたらく者がいるからだろうか。だが、使えないなら無いのも同じだ。しかたなく中央公園に向かった。
 公園の車椅子用のトイレは、さっきのとちがって明るくて広い。一瞬躊躇した彼女だったが、僕と中に入って扉を閉めた。念願の二人きりにはなれたが、少しは残っている良心と、彼女を失いたくない思いと、いま彼女に逃げられたらニッチもサッチもいかない現実が、僕の言動を抑制していた。

 まず車椅子の背に吊るしているナップサックから、溲瓶を出してもらう。そして、それを手洗いの陶器の中に置いてもらった。さらに、ズボンのジッパーを下げてもらわなければならない。初めてのデートで、十代の女の子にこんなことをさせる男は僕ぐらいであろう。しかし、ここで気の毒げに振る舞っては、かえって彼女に気を遣わせるだけだ。
 「あと、このチャックを下ろしてくれたら出来るから」
 「うん。じゃ、私もトイレに行ってくるネ」
 「時間がかかるかもしれんけど、待っといて」
彼女は、看護婦のような自然なしぐさで、僕の社会の窓を開けてくれた。僕が動く方の手で、ジッパーの上の部分を引っ張っておいたので余計なものを見せずにすんだ。

 彼女が出て行ったあと、大きなため息を一つついてから、作業に取り掛かった。もし失敗したら、という不安が頭をかすめたが、そんなことを考えていると余計アテトーゼ(不随意緊張)がひどくなる。作業に集中するようにつとめた。実際、ここでもし失敗していたら、悲惨なことになってしまっただろう。
 だが、そういうことを案じていたら、とてもデートなんぞ出来はしない。ヒヤッとする場面もどうにか切り抜け、中身が入ったままの溲瓶を元の手洗いに戻すことが出来た。10分ぐらいはかかっただろうか。最後のハードルは、これを捨ててもらうことだ。彼女を呼ぶ。
 「案外早かったですね」
 「悪いけど、これ捨てて」
 「はい」         
トイレに入るまでの戸惑いの表情は、もう消えていた。彼女は、僕のズボンのジッパーを上げ、溲瓶の尿を捨て、何度かすすいでくれたあと、僕の手も洗ってくれた。相手にこんなことまでさせてデートするのは、常識的に言えばきっとわがままなのだろう。

 しかし何はともあれ、難関は突破した。陽射しはますます強くなっていた。公園の木陰のベンチにはアベックがいたが、きょうは羨ましげに盗み見なくてすむ。彼女に時計を見せてもらう。映画の上映開始の時刻が迫っていた。また地図が頼りの、探検旅行の始まりだ。高松のメーンストリートを地下道で横切り、人通りの増えた商店街を行く。それにしてもいつも不満に思うのは、車椅子を押してくれている相手の顔が見えないことだ。まして、デートならなおのことだ。互いの顔が見えないままでは、複雑な会話も出来ない。
 分かりにくい僕の言葉を理解するには、口の動きも重要なヒントになるらしく、本当に聞きとろうとしてくれる人は一所懸命僕の顔を見つめてくれる。車椅子を押してくれる人とそれをするには、僕が首をねじ曲げるしかない。幼い頃からの度重なるアテトーゼで首を反らし、蝶番を酷使してきた者にとって、それはぜひとも避けねばならない姿勢なのである。そういう訳で車椅子を押してもらっている間は、発音しにくい言葉や、聞き手の意表をつくような単語は、ふだん以上に使えない。

 彼女の甘ったるい声を頭上に聞きながら、僕は相づちを打っていた。僕の言葉が少ない分、相手に喋らせるようになる。彼女は人並を避けながら、学校での面白いエピソードのいくつかを話してくれた。しかし、彼女にはもっと話したいことがあったし僕も彼女に訊きたいことがあった。二人ともそれを感じながら、歩いていた。僕のミスで2・3度おなじ道を逆戻りさせたせいで、映画館に着くと上映開始のブザーが鳴っていた。
 彼女は学割、僕は障害者割引でチケットをやはり割り勘で買い急いで中に入った。小さなホールに客はほぼ一杯だった。最後列の通路側の席は空いていなかったが、彼女が客に頼んで席を一つずつずらしてもらい、彼女が座った横に僕の車椅子をつけた。まだコマーシャルフィルムを流していたので、そんな余裕もあったのだ。

 映画は実際にあった出来事を元に作られていた。伝染病の後遺症で、外からの刺激に全く反応しなくなり、同じ姿勢のままになってしまう病気がある。そんな患者を集めた病院に、一人の医師が赴任してきた。彼は、他の医師が諦めてしまっているそうした患者達を観察し、ある働きかけには素早く反応することを発見する。そして、単なる反射だと言う院長を説き伏せて、一人の患者に新薬を投与する許可を得る。何日か経ったある朝、泊まり込みで診察していたその医師がふと目をさますと、その患者「レナード」が鉄格子の入った窓際に座っていた。そして、なぜ自分がここにいるのかと尋ねたのである。
 他の患者にも新薬が投与され、夢幻の世界をさまよっていた人たちが、次々と現実の世界に引き戻された。失われた数十年を取り戻すかのように人生を謳歌し、病院側の非人間的な対応に抗議する彼ら。だが、それも長くは続かなかった。薬の効き目が徐々に薄らいで、痙攣の発作があらわれるようになったのだ。そしてついには、元の化石のような状態に戻ってしまうのである。
 
 彼女がなぜこの映画を見たがったのか、僕には納得がいった。この前届いた手紙には「いま、人が生きる意味を考えています」と、書かれていた。なぜ彼女がそういうことを考えるようになったのか疑問に思いながら、僕は自分なりに導き出した答を用意して、このデートに臨んだのである「レナードの朝」には、まさにその答が織り込まれているようだった。
 映画が終わったのは、2時過ぎだ。とりあえず腹ごしらえをしなければならない。近くの弁当屋で弁当を二つ買い(このとき初めて僕に奢らせてくれた)、自動販売機で二つジュースを買って(彼女が金を出した。あぁ)海に面した公園に行った。そして、小さな燈台の日陰で、彼女に食べさせてもらった。フェリーの発着する港から吹いてくる風は涼しいし、二人が食べているまわりには鳩が寄ってきた。なんて幸せなんだろう。
つづく

その3
 弁当がすんで、今度は玉藻公園に入ることにした。お堀に海水を引き込んだ玉藻城址だ。折りしも園内では「さつき展」が催されていたが、人出は思ったほど多くはなかった。ベンチの横に車椅子をつけてもらい、隣に彼女がすわった。そして、僕はゆっくりと話し始めた。
 「なぁ、さっきの映画やけどレナードはなんで現実の世界に還ってきたと思う?」
 「それって、生きる意味に通じているんでしょうね。」
 「そう思う。ほんで、答出たん?」
 「ううん、まだ。難しいですネ。でも、三谷さんにはそれが分かってるみたい。」
 「この頃になって、やっと分かりかけた気がする。」
 「いつごろから考え始めたんですか?」
 「小さいときから」
 「そうなんですか。じゃ最近考え始めた私なんかに答えが出せる訳ないですよね」
 「なんでまたそういう事考えるようになったん?」
 「講義のとき、先生に質問されたんです。リハビリって、体の機能を回復させるのだけが仕事じゃないんですよね。たとえば、頚椎損傷の患者さんなんかは、訓練しても限界がある訳でしょ。そういう人たちにやる気をおこさせて、よりよい人
  生を送ってもらうようにするのもリハビリの役目なんですヨ。」
 「やる気をおこさせるためには、人生の目的を把握しとかんといかん訳か。たいへんな仕事やな。」
 「そうなんですよ。でも、ついつい目先のことにかまけて、そのことを忘れているんです。」
 「そら、しょうがないわ、君は健康やもん。で、僕が出した答、聞きたい?」
 「いいです。三谷さんが30年もかけて出した答、聞くのもったいない気がする。それに今聞いてしまったら、もろに影響されそう。もう少し自分で考えてみます。」
 「そうやな。ほんなら聞きたいとき言うて。」
十九歳の女の子は、もう既に大人の女性なのだ。僕は彼女の手を握りしめた。・・・彼女はしばらく黙ってから僕の手を握り返した。そのまま二人の会話は続く。・・・
 「三谷さんはどうしてそんなに意欲的なんですか?」
 「やりたいことがようけあるけんかな」
 「その自分のしたいことを見つけるってことが、けっこう難しいんですよね」
 「そんなん、しばらく独りにされたら、退屈で退屈で何かをせなおれんようになる
  んとちゃう?」      
この言葉は、だいぶ途中を端折っている。この方法でやる気が出るまでには、焦燥やら苦悩やらを相当味わわなければならない。彼女に哀れみを受けるのを拒む気持ちがそれを言わせなかったのかもしれない。

 そういえば彼女と話していて、そういう憐憫の情をかけられていると感じたことはなかった。もしかしたら、彼女はきょうのことを本当のデートのつもりで来てくれているのではないだろうか。これまでそんな甘い期待をして、何度裏切られたことか。それでもやっぱり、そんな思いを抱かずにはいられない。公園をそぞろ歩く人たちは目の前を行き来したが、二人は手をつないだまま話し続けた。
 リハビリ学院のこと、寮のこと、友達や先生のこと、家族のこと、最近彼女が傾倒している三浦綾子氏や宗教についてなどなど、とても15も年下の相手と話しているとは思えなかった。気が付くと、瀬戸内海特有の凪が辺りを包み、手入れの行き届いた庭園に二人の影が長く伸びていた。そろそろデートも終わりに近づいていた。二人は時間を惜しむかのように、また別のシチュエーションを求めて街に出た。

 ところで、生まれてこのかた歩いたことのない僕は、車椅子を押してくれる人の疲れに無頓着だ。家族や気のおけない友人に「おまえも一度こんなわがままな障害者の世話をしてみぃ。」と、よく言われる。しかし、人は恋をするとやさしくなるのか、このときは「しんどうないん?」と訊ねる心配りをみせた。「私、体力だけは自信があるんだ。そうでもなきゃ、PTなんか務まらないでしょ?」確かに彼女の言うとおりだ。自分で動かせなくなった筋肉をほぐしてあげるには、かなりの力が要求される。実は、つい最近までそういうリハビリを受けていた僕である。彼女は言葉をついだ。
  「それに三谷さん軽いもん、大丈夫ですよ。」
  「君より軽いかもしれんナァ。君、何キロあるん?」
  「もう三谷さんったら。女の子に体重なんか訊くもんじゃないの。」
彼女は車椅子を押しながら、僕の肩を軽く小突いた。アーケード街に入ってしばらく行くと、しゃれたケーキ屋の前を通りかかった。酒も飲むが甘い物も好きな僕は、早速彼女を誘ってみた。もちろん喜んでOK。入り口の段差も軽くクリアして中に入った。

 店の奥半分が喫茶になっていて、テレビドラマに出てくるようなトレンディーなカップルが談笑していた。愚痴っぽくなった老人の言いぐさではないが、最近の若者は車椅子に興味を示さない。失礼だと思って遠慮しているのか、それとも本当に興味がないのか知らないが、とにかくこっちを見ない。
 よく新聞などに「街でジロジロ見られた」という障害者の声が取り上げられるのを日頃から苦々しく思っている。自分達のことを知ってもらおうともせず、手を貸してくれと言ったって無理なのである。目をそむけたままで理解など進もう筈がないではないか。

 それはともかく、ユーミンのDJ番組が流されているその店で、僕は彼女にケーキを食べさせてもらった。甘さをおさえてある筈なのに、いつもの数倍甘く感じたのは途中で彼女が自分のと交換してくれたからだろう。結局、そこの払いも割り勘にされてしまった。しょうがないか、なんたって僕は年金と親のスネをかじって生きている身だから。彼女だってスネかじりのくせに。その店を出て、高松駅に向かった。別れの時が近づいている。こんなロマンチックなシーンに、またトイレのことを言わなければならない。
 「汽車(高徳本線は電化されていないので、この呼び名が残っている)に乗る前にもう一回トイレにつれて行って。」
 「はい。それでどこにあります?」
 「駅の中にあるヨ。」
 「よかった」
 「ところで、ゆうべ電話かけてきてくれたけど、デートにOKしてくれたとき、トイレのことは心配じゃなかったん?」
 「そういうこと全然考えてなかったんですよね。竹内さんに今日のこと話したら、そのことを聞かれて初めて気が付いて、。電話をしといた方がいいんじゃない?って言われて」
 「ハハハ。それで今は?」
 「世話のやけるオジさんだなって思ってたりして。うふふ。うそですよ。」
 「そいじゃ、またデートしてくれる?」
 「はい、喜んで。きょうはスゴ~く楽しかったです。どうもありがとうございました。」
 「こっちこそ、付き合ってくれてありがとう。」もうこの頃になると、僕の言葉にも慣れて、聞き返す回数も減っていた。そんな会話を交わしながら、ビルの影から射す眩しい夕陽を浴びてゆく。僕は「レナードの朝」のワン・シーンを思い出していた。痙攣の発作が激しくなり、夢幻の世界に戻ることを悟ったレナードは一緒に暮らしたいとまで思っていた彼女に「もう会いに来るな」と言うのだった。
 涙をいっぱい溜めて、痙攣にふるえるレナードを抱きしめる彼女。がらっとシーンが変わる。鉄格子越しに陽射しの入る病室で、瞬きしかしないレナードの隣で、本を読んでやっている彼女。その表情のなんと穏やかだったことか。

 2度目の用足しも無事すんで、いよいよ列車に乗り込む。ちょうど通りかかった彼女の先輩に手伝ってもらった。ディーゼル・カーの床は電車のそれよりかなり高い。乗客も手を貸してくれ、僕も引田行き鈍行列車の乗客の一人となった。発車のベルが鳴り、軽い衝撃とともに動き出す。彼女は列車について歩きながら、まだ手を振ってくれていた。初めて出会ったときの、あの笑顔のままだ。列車がスピードを上げても走りながら手を振り続けてくれる彼女。その姿が見えなくなるまで僕も精いっぱい手を振りながら、これがたとえ夢でも構わないと思えてくるのだった。

91年7月

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