引田駅
先日、鉄道の好きな文理大の学生ボランティアの車で、久しぶりに引田駅を見に行って きた。寒川町の療護施設「真清水荘」に入所する以前は、よく引田駅からJRを利用して 高松や丸亀、ときには松山まで足を伸ばしたものだった。実家から3㎞余りの道程を電動 車椅子で駅まで走り、駅員や乗客に担いでもらって列車に乗るのである。それゆえ、駅員 もキオスクのおばちゃんも顔見知りなのだ。
私が駅に着くと以前と同じように声を掛けてくれたり、行き先を尋ねてくれたりした。 そして、「車椅子用の通路があります。向こうのホームに渡るときは案内しますから、声 を掛けてください。」と駅員が付け加えた。きょう私が引田駅にやってきたのは、まさに その通路の存在を確認したかったからであった。
私がよく利用していたころの引田駅は、駅舎の向こう側にあるホームに渡るには、いっ たん線路に降り、踏み切り板の上を歩いて、再び「島」状のホームに上るようになってい た。ホームと線路の間を上り下りするための階段は、短いが狭く急で、私の体重とあわせ ると120㎏を超える電動車椅子を担いでもらうにはあまりにも気の毒だった。
そこで、日に数本ある駅舎側のホームから出る列車を選んだり、両親や近所の人に駅に 来てもらい乗せ降ろしを手伝ってもらったりしていた。大体、列車やバスといった公共交 通機関は、自分で車の運転ができないような交通弱者のためにこそ存在すべきではないだ ろうか。
病院通いの老人が乗客の大半を占める今の路線バスの現状で、いまだにステップの高い 車両を使っているバス会社の見識を疑ってしまう。まして全国をつなぐ鉄道は、バスより もなお弱者に親切でならなければならないはずだ。
そんなことを考えていたころ、ちょうど「香川車イス旅行の会」の会長を引き継がざる を得ない羽目になった。車椅子使用者がボランティアを集めて、年に1~2度泊まりがけ の旅行を楽しむのである。その旅行や例会の段取りをするのが会長を含めた役員の仕事だ が、その他にも、数ある障害者団体の代表の一人として、いろいろな会合に出席せねばな らなかった。
その会合の中には、行政機関や交通機関各社との集団交渉も含まれていた。もちろん、 私は引田駅の改善を要望した。しかし、ペーパーワークばかりしている役人や、人を丸め 込むのを商売にしているような人たちを相手に、施策や施設の改善の約束を取り付けるの は、並み大抵のことではなかった。ほとんどの人々は、自分たちが障害者予備軍であるこ とに気づいていない。
一方、障害者にも責任があって、ハンディを持つことをあたかも罪を犯したように感じ 人生をあきらめ、家に閉じこもり、地域の人々に自分の存在をアピールしないから、人々 は障害者を身近に感じられないのだ。それが証拠に、言語障害を伴う重度障害者が一人で 列車に乗るなどということは、そのころの香川県では私ぐらいしかしていなかった。
車椅子で列車に乗ること自体、滅多になかったのではないだろうか。そういう障害者の 消極性が、香川県いや四国の福祉を著しく停滞させたのである。ともあれ、私は会長の任 期中、引田駅の改善を要望しつづけた。
さらに、町長に手紙を書き、現状の不便さを説明した上で「車椅子でも楽に使える駅に なるよう協力してほしい」と申し入れた。それを読んだ町長は、駅舎の向かい側に道路を つけるという案を持ってJR四国本社を訪れたが、あえなく断られたそうだ。
その後、私は寒川町に移り、「香川車イス旅行の会」の会長も辞めたので、引田駅を利 用することもなくなり、その件に関する情報も得られなくなった。それが今年の正月に帰 省したとき、両親から思いがけないことを聞かされたのである。私が列車で出掛けていた ころ手伝ってくれていた近所の人の話によると、駅はいま跨線橋の取り付け工事中だそう だ。
私は、一瞬絶望的な気分になった。長い階段を上り下りしなければならない跨線橋がで きれば、向かい側のホームに渡るのがもっと不便になると思ったからだ。しかし、話には 続きがあった。近所の人の話によれば、『ここは車椅子の人が乗り降りするんで、そのた めの通路も造りよんや。』と、駅員が誰かに話していたという。
これを聞いて私は、一転して小躍りしたいぐらいの気分になった。それが本当なら、私 のような車椅子使用者とか手押し車やベビーカーを押す人たちにとって、まさに画期的な ことだ。それが本当なら、私が気を遣いながら列車を利用してきた甲斐があったというも のだ。
だが、JR四国には集団交渉のときしばしば落胆させられてきたので、今度も実物を見 るまでは喜ぶのを控えようと思い直した。あれから7ヶ月経った今日、ようやくその「通 路」を実際に見ることができた。予想以上に立派なもので、ホームの端からなだらかなス ロープが長く伸び、線路の高さまで降りられるようになっていた。
そして線路の上には板が敷かれ、それを渡りきると、向こう側のホームへとつながるス ロープが待っているのである。もちろん、両方のスロープには転落防止の柵が設けられて いた。私には涙が出るほどうれしかった。これだけでも、私の生きてきた価値があったの ではないかとさえ思えた。
そんな感慨にふけっていると、私の車椅子を押してくれている学生が、目の前に停まっ ている徳島行きの車両に車椅子のマークが付いているのを教えてくれた。車椅子が止めら れるスペースのある車両だ。時代は、確実にバリアフリーへと向かっているようだ。 (了) 97/11

