じょんならん
あとがき
最後までお読みいただきまして、どうもありがとうございました。
この本を書いていくうちに気づいたことは、
「体の障害はそんなにつらくなかったけれど、周りの人の『治さなきゃ』とか『気味悪い』といった気持ちへの対応の方がずっときつかったんだ」
ということです。幼少期の訓練は必要だったでしょうが、あまりにハードすぎて悲壮感ばかり煽られてしまいました。それに、今いちばん困っているのは立てないことでも歩けないことでもなく、うまく喋れないことなのです。少なくとも私の場合、何時間もかけて、 靴下を穿く練習をするなんて無意味だったでしょう。
それから、アテトーゼを悪玉の権化のように書いてきましたが、「脳性マヒ者の元気の源はそのアテトーゼなのかもしれない」と、ふと思うようになりました。ここの施設で元気なのは、ほとんどが脳性マヒ者なのです。それは、起きている間じゅう体を強制的に動かされていることが、筋肉を自動的にストレッチしてもらっているとも考えられるからです。食事制限に苦しんでいる他の人たちを尻目に、私たち脳性マヒ者は甘いものを遠慮なく食べさせてもらっています。いくら食べても太らないんですから・・・。
そもそもこの本は、こんないきさつで出版話が進みました。
年が改まって間もないある日、岡山に住む妹からメールが届き「本を書け」と言ってきました。私は曖昧に返事したつもりでしたが、日を置かず妹は、編集者を伴って瀬戸大橋を渡り、さぬき市の療護施設まで乗り込んできたのです。この二人のおばはんに取り囲まれて、代わる代わるの口説き文句には、怖くて逆らえませんでした。それが運の尽き。 『兄妹喧嘩』のように、岡山の妹とメールで激しいバトルを繰り返すことになるのです。 でもこれだけは譲れず、著者は私なのだからと、いろいろ注文をつけました。パソコン用語が多いのはそのせいです。しかし、我が妹も編集者もパソコンで書く仕事をしていながら、あまりのド素人さにあきれました。せっかくワープロソフトを使っていながら、文字しか書いたことがないと言うのです。そんな彼女たちに理解させなければ、原稿のOKが出ないのですから、いかに容易ならざることだったかご想像ください。
私の父は、昔から機械いじりの好きな人で、真空管ラジオを作ったり、「ボストン」という名の家具調ステレオでレコードを聴いたりしていました。その血を受け継がなければ、 今の私はなかったと思います。よい音を聞く悦び、電気の知識、音楽の魅力、物を作る楽しさなど、父から得たものは限りなく私の人生に彩りを与えました。顔も私とそっくりですが、私が施設から家に帰ったときは喧嘩ばかりしています。
書くことは、母からの遺伝でしょう。もう何十年も家計簿に日記をつけています。この日記にはとても世話になっていて、いつ何があったかはこれを見れば分かるのです。母はまた漢字も熟語も諺もよく知っていて、幼い頃は母に聞けばなんでも分かると思っていました。おまけに口も達者で、世話焼きです。こんな母に闘いを挑んでも勝てっこないのに、寄ると触ると口げんかです。
ただ一人、弟とはあまり喧嘩をしませんでした。大学に行くまで同じ部屋で寝起きしていながら、話す時間がなかったのです。クラブと勉強に明け暮れていて、私どころではなかったのでしょう。それに「のぞっせくらい(お調子者)」の私と、「おとっちゃま(慎重な、臆病者)」の弟とでは話題があいませんでした。でも最近は、そんな彼ともメールで大げんかを繰り広げています。
こんなに喧嘩ばかりしている私は、やはり極度の欲求不満でしょう? あ?、自由に動くからだがほしい。せめて、口だけはスムーズに動いてほしい。「障害の受容」なんてクソ食らえです。
もし、こんな私を救いたいとお思いの女性の方、同封のアンケート葉書にこの本の感想をお書きの上、その旨お書き添え下さい。ただし、宗教の類は固くお断りします。
さて、この本の陰の功労者は、何と言っても、編集の労を執っていただいた鈴木富美子氏です。彼女抜きでは、とてもこの本は出来上がっていません。何しろ、別々の目的で書いている兄妹が引き起こす軋轢は激しく、少なくとも二度は暗礁に乗り上げました。そこに鈴木氏のタグボートが駆けつけ、メールで根気よく押したり引いたりしてくれたのでした。そのメールの量たるや、私がこの本のために新たに書いた原稿の量に匹敵するほどです。そして、そのどれもが実に心温まる内容。おかげで、私にもようやく目的地が見えてきて、何とかここまでたどり着けたのでした。いくら感謝しても足りません。
ほかにも、感謝したい人はたくさん。
たとえば、このキーボードを載せる台。徐々に手が上がらなくなっている私は、その都度キーボードの角度を少しずつ立てる必要があります。そこで私が考えたとおりの台を、 施設職員に作ってもらいました。何度も手直ししてもらった結果、簡単に角度を変えられる台が出来ました。ペン立ての固定位置や、学習リモコンの置き方も彼らの協力によって随分使いやすくなったのです。
もちろん、私の日常をも支えてくださっている彼ら。ホントにきつい仕事です。ホントはもっとまじめな話をじっくりしたいのですが、そんな時間がありません。この本には、 日ごろ私の考えていることが詰まっています。どうぞ、ぜひお買いあげの上、お読み下さい。
それから、電動車イスの改造などをしてくれているのは、二十年来の友人たち。仕事上のつきあいだけでなく、プライベートでも、旅行や買い物につき合わせています。
最後に、素敵な文章を寄せていただいた中邑賢龍先生、ありがとうございました。同い年の誼で馴れ馴れしくさせてもらっていますが、本当は世界を股にかけるコミュニケーション支援技術(A AC)の研究の先駆者なのです。先生のお名前は、 書店に勤めていた母が、『障害者のための小さなハイテク』というご著書を見つけてきたことに始まります。県内にこんな方がいらっしゃったなんて知りませんでしたが、リハビリセンターに出入りしていらっしゃると知り、ちょうどそこに入院したのを機に、ソーシャルワーカーの方に紹介してもらったのでした。以来、学生さんとともに親しくおつき合いしていただき、私の大きな転機のときにはご足労願っています。力強い後ろ盾といえる方です。
これから、私の体はますます機能低下への道を辿ってゆくことでしょう。いずれ「脳波スイッチ」でも取り付けてもらって、意思だけで機械類を操れるようにしてもらわねばなりません。ここまで生きたついでに、人間が「考える葦」であるという究極の証明をしてみましょうか。
2005 年 1 月
三谷康夫
著者プロフィル
著者 三谷泰夫(みたに・やすお)
1956年、香川県引田町生まれ。生まれて間もなく脳性小児麻痺となり、 両四肢麻痺、言語障害に。母・房子は、同町で「心身障害児を守る親の会」を立ち上げる。引田町立相生小学校を卒業。1975年、文部省(当時) より中学校卒業程度認定証書を授与される。独学でアマチュア無線技師、 パソコン検定、インターネット実務検定など様々な資格を取得。また、 「香川車イス旅行の会」の会長を務めるなど、電動車椅子で町内外を駆け巡る。パソコンを得てからはプログラム作りに熱中。コミュニケーションツールを駆使して、人的ネットワークをますます広げ、その道のエキスパートに。趣味は、作詞、短歌、書、ジャズなど多彩。
編集・構成・イラスト 平島智子(ひらじま・ともこ)
1961年、引田町生まれ。著者の実妹。香川大学教育学部卒業後、岡山に嫁ぐ。二児の母。元小学校教諭。
じょんならん
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2005年2月14日 初版発行
著者 三谷康夫
編集・構成 平島智子
イラスト 平島智子
発行者 山川隆之
発行 吉備人出版
〒700-0823 岡山市丸の内2丁目11-22
電話 086-235-3456 ファクス 086-234-3210
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印刷所 株式会社 三門印刷所
製本所 有限会社 明昭製本
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乱丁本・落丁本はお取り替えいたします。ご面倒ですが小社までご返送ください。
定価はカバーに表示しています。
c2005 Yasuo MITANI & Tomoko HIRAJIMA, Printed in Japan
ISBN4-86069-081-8 C0095
