康夫の短歌集(見知らぬ人・道往き・ことば)
見知らぬ人
信号のボタンを押してくれし子に我が頬笑めば頬笑みくれぬ
編物の合間にチョコレートをひとつずつ食ぶる少女の瞳にあいぬ
麻痺われを見る人のあるを話しつつ妹夫婦と街を歩めり
「かわいそうな人よ」と我を向きて言い幼ら乗りし自転車の過ぐ
さえず車椅子のレバー握りて国道を行けば視線は囀りのごと
花園駅で降ろしての紙片読みくれて客はしきりに吾にうな なずく
「堂々と道の真ん中通れよ」とわが車椅子見送りくれぬ
麻痺われに見知らぬ人の掛けくれし言葉うれしくつぶやきている
呼び止めしビジネスマンはスマホにてエレベータを探しくれたり
道往き
車イスの走行音をいぶかる如我に向かいて犬が吠え立つ
てん用水路に毛づくろいせる貂のいて粘れるごとき水音のする
こが柔らかく開く花びら匂い立ち焦れし鳥が顔埋めゆく
散りそめし桜に鶯の鳴く声を近々とわれは聞きて佇む
あてどなく車椅子にて花びらの舞い散る風の中を走りぬ
ねむ合歓の花を見んと電動車椅子よせればみきにアリが列なす
過ぎし日の段々畑があぜ道が水涸れしダムの底に見えおり
緑濃く水をたたえし堰堤のガードレール鳴れりきしむ音して
揺るぎなくそびえ立ちたる椋の木の蔭に夏の日暮れゆかんとす
車椅子にてて雨しげく降る街中を初めて走るせただ気の急きて
暮れゆきて車椅子より見上ぐる空にベガの輝く秋晴れの日の暮
えんてい車椅子に一人来たりし堰堤に風冷え冷えと下流より吹く
むくろ車椅子のレバーを握り細道の蝶の骸を跨ぎて過ぎぬ
ひとり来しダムのほとりの陽だまりに車椅子よせ空をあおげり
我信たしと思うことありコナりコオロギと鳥の鳴ける秋晴れの日に
吹く風に高く舞い飛びしもみじ葉は空の映れるダム湖に落ちたり
車椅子のタイヤが落ち葉踏む音になぜか惹かれて行き帰りしつ
壊れたる看板ありて人気なき路地裏を行く電動車椅子にて
冬枯れの梢に揺れるもみじ葉を柔らかき陽が射して労うねぎら
降りしきる枯葉の下にいる吾に風流やねえと婦人が笑う
枯枝はキノコ養い鳥遊び冬陽を浴びて誇らしく見ゆ
赤く錆しロープウェイのゴンドラが緑濃き入り江に放置されてあり
ひよどり鴨も寄りつかざりしモチノキの赤き実映ゆる透き徹る空
わが前を導くごとく飛ぶ蝶は涅槃西風待ちているらし
わが生命われの右手に委ねつつ電動車椅子にて山道を行く
ことば
文字板の一字一字を子を指に示し我が向かう人も汗のにじめり
もの言うも力の限り振り絞振り絞る脳性マヒのわれの一日短
道を尋ねし人に言葉の通じしをよろこびとするこころ寂しむ
この姪と話の出来る日を思い産着の中の小さき口を見る
寂しさは人と居るとき思うこと独りのときは何かに夢中
買い物もネットで済ますこの頃はますます言葉が通じなくなる
うたのわの居心地良さは もしかして対話の出来ぬ不自由さゆえか
もの言えず文字も書けざる麻痺我にパソコンはすでにわが伴侶にて
叶うならうまく話せる口がほし この障害を説いて聞かさん

