海の見える部屋で
町内の人は、冬至の前後になると12時近くまで陽が差さない私の家を称して「かげうら」と呼んでいる。家の南側に、傾斜の険しい山が迫っていて、朝日が望めなくなるのだ。陽に照らされた領域がすぐそこまでやってきているのに、我が家に到達するまでのなんと長いことか。それをいらいらしながら待つのが冬の日課である。
海岸から4㎞ほど離れている。そんな私の部屋から海が見えるのは、私の家が扇状地の要の部分に位置しているからだ。それは小高い丘の上から見おろしているような格好で、海沿いに建つ家々の屋根の上に小島を浮かべた播磨灘が横たわっている。さらにその涯の空との境を、大型フェリーやタンカーが行き交うのだ。
寒い冬の朝は厭でたまらなかったが、北向きの窓から見えるこの景色は幼いころから好きだった。天気の穏やかな日の夕方、海が徐々に色あせ、空とひとつに溶け合ってゆくのを何度見ても飽きはしない。遠くのものへの憧れは、私が重度障害者だということもあるが、まずこの窓の風景がはぐくんでいったのではないかと思う。
この原稿も、パソコンのキーボードを鉛筆で押さえつつ、ときどき窓に目をやりながら練っている。海を隔てて飛んでくるFM放送をBGMに。生まれてすぐ黄疸の高熱で脳性マヒになり、身体の運動機能の大部分を奪われた私は、母に付き添われて小学校に通った後、ずっと在宅生活を送っている。その間、孤独に打ちひしがれそうになる心を救ってくれたのが、窓から見える海とラジオから流れる音楽だった。
眺望がいいということは、より遠くの電波をキャッチできるということにもなる。選択肢の多い京阪神からの電波をキャッチし、様々な放送局にダイヤルを合わせ音楽を聴きあさった。とりわけ、音質がよく音楽をたっぷり流してくれる民放FMが開局してからは、聴く曲のジャンルの幅も広まった。
もう何年前になるだろう。台風が瀬戸内海に入り、近畿地方に向かっていた夜があった。吹き荒れる嵐の音、雨漏りのする部屋で、そのFM大阪をつけてみた。普通なら電波を出していない時間だ。聞こえてきたのは、室内楽の演奏会らしかった。木琴に似た音色の楽器と、ピアノ、ベース、ドラムスの四重奏で、曲の最中にお客が歓声を上げ、手拍子を打っていた。
美しい旋律はクラシックにも似ていたが、各演奏者と聴衆が一体となって、次の小節をつくり出している感じがした。そんな曲が何曲か続いた後、台風は播磨灘を東進中とのアナウンスがはいり、そして、レコードのタイトルを告げた。『モダンジャズカルテットのラストコンサート』。これがジャズなのか。
小学校のとき教わった「聖者が街にやってくる」とは、全然違う感じがした。曲はまた再開された。今にも、家ごと吹き飛ばされそうな真夜中に、静かだが熱気に満ちたライブ演奏を聴いていると、周りの状況など忘れてしまう。というより、かえってそんな異常な状態の方が、音楽のもつ暖かさが心に直接響くのかも知れない。
その夜のことがあってから、ジャズは私の音楽のカテゴリーの中で、大きな位置を占めることになった。とにかくいろいろなひとの演奏を聴いてみようと思った。しかし、日本の放送局にはジャズの番組は少なく、短波ラジオで「ボイス・オブ・アメリカ」の〔ジャズ・アワー〕を聴くようになる。
この短波というのが厄介で、地球の反対側からの電波をも受信できるかわりに、電波の強さが一定ではなく、不意に音が途切れることもあるのだ。だがこの頼りなさが、いかにもはるばるやってきたという感じがして、旅情をさえ味わうことができた。
日曜をのぞく毎晩9時15分から始まるその番組は、ニューアルバムを1週間流すときもあれば、1人のアーチストを特集することもある。海外向けを意識して特にゆっくり話すD.J.ウィリス・カノーバの英語は、中学に行っていない私にもなんとなく理解できた。知らず知らずのうちに好みのミュージシャンの名前や曲名を覚えていった。
ジャズの曲のタイトルには、誰かの名前をおりこんだものがある。世界に一つしかないこういう曲を贈られたら、相手はどんなに嬉しいことだろう。私は音楽をただ聴くばかりでなく、自分だけの曲を作りたいという欲求が次第に強くなっていくのを感じた。
障害者の詩に曲を付けて歌ってくれる『わたぼうしコンサート』をご存じだろうか?その『わたコン』に挑戦してみることにした。いろいろな曲のパターンを知り、作詞の本で知識を仕入れていたためか、何人もの人が私の詩に曲を付けてくれたものだ。念願は達成されたかに見えた。
だが、飽きっぽい私のこととて、長続きはしなかった。それに私には、音楽に詞は不必要だという頑なな思い込みがあって、自分のしていることが邪道のように思われてしかたなかったのである。作曲をしたり、楽器が弾きこなせたりする人が羨ましかった。手が思いどおりに動かない自分には、到底できないと思っていた。
だが、最近その認識を変えさせたのが、パソコンだ。1年ほど前から、パソコンを電話回線につないで、文書やデータのやりとりをするパソコン通信なるものをはじめている。文字もなかなか書けず、言語障害を伴う私には画期的なメディアだと思われたからだ。ワープロソフトやエディターを使ってあらかじめ文書を作っておき、通信ソフトの[アップロード]という機能を使えば、たちまちのうちに相手の私書箱みたいなものに届けられる。
パソコン通信が一般の人々の話題にのぼるようになったきっかけは、なんと言ってもあのコンピュータ・ウイルスの報道だろう。パソコン通信は、文書だけでなく、プログラムも送受信できる。相手のパソコンに侵入して、データを消してしまったり、暗証番号を盗んだりする悪質なプログラムがコンピュータ・ウイルスだ。そういう良からぬ輩も居るには居るが、大多数の人は、利用者に喜ばれるような便利なプログラムを提供してくれている。
誰でもが利用できるそのプログラム(フリーウェアという)の中に、パソコンに音楽を演奏させるものがあった。それは、アルファベットの音階を並べたデータを作れば、そのデータを音に変えてくれるものだ。たとえば童謡の「チューリップ」なら、CDECDE GEDCDED・・・ ということになる。こんな音を6つ同時に鳴らせるから、和音を作ることもできる。
しかも、6つの音それぞれに音色を変えられるようになっていて、データ次第ではかなり複雑なことができるようになっていた。私は、手始めに手元にあった楽譜を打ち込むことにした。選んだ曲は、カーペンターズが歌っていたレオン・ラッセル作曲の「マスカレード」。洒落たメロディー進行の都会的な曲だ。
このお気に入りの旋律を繰り返し聞きたくて、打ち込むことにしたのだ。楽譜をコピーするだけなら簡単だろうとたかをくくっていたが、とんでもない。まず楽譜の読み方から学び直さねばならなかった。音符、移調、臨時記号、繰り返し記号、テンポetc小学校で習ったはずなのに全然覚えがない。
音楽などできないものと諦めてしまって、授業をないがしろにしていた自分に否応なく気付かされた。「やさしい楽譜の読み方」なる本を読み、友人に聞きまくった結果、それでもどうにか曲らしいのが出来上がった。パソコンのスピーカーから、聞き覚えのあるメロディーが流れてきたときの、なんと嬉しかったことか。
あんまり嬉しかったもので、出来たばかりのデータをパソコン通信で送ってみた。数日後、それを受け取った人から感想が届いていて、タイ記号は“^”で表わすとか、6つのチャンネルによって表現できる音色が違うことを教えてくれていた。そして、改良して再度送ってほしいとも書いてあった。
そういうわけで、この原稿を書き終えたら、曲データの改良に取り組もうと思っている。作曲できるところまで到達するかどうかは分からないが、演奏する楽しみを覚えたからには、曲作りもそう遠い夢ではなさそうな気がする。
窓から見える冬の海は、今日も相変わらず碧い。香川県のはずれの町で、車椅子に座っていながら、あの海の向こうのたくさんの人々とつながりを持ちたいと願っている私である。
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